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エレメカへの熱い思い
〜ファミリーランドカルディー〜






2006年5月4日。翌日に勾当台公園でのはんだやレイブを控え、バカ兄弟の2人を車に乗せて仙台近郊を接待していた。前日夕刻に一度立ち寄っていた、鶴ヶ谷トーコーチェーン跡地にあるゲームコーナーへと再度行ってみる事にした。



3人でまずは2階テラス部分にあるのりもの系遊戯機器を眺めていく。木製の身長を計る仕掛けや、レールは無いがミニ機関車なども置かれている。他のほとんどのマシンはきちんとメンテナンスされており、生きている事を訴えかけるように時折電子音を響かせていた。






元はレストランだった場所に居を構えるファミリーランドカルディー。 当日は改修に伴う移転準備中という事で、入口外の一部の子供向けマシンのみの稼動だったが、懐かしさを味わうべくジャンケンマンやウォンテッドなどで遊 んでいるといつものおじさんが中から出てきた。その時我々はとあるマシンで遊んでいたのだが、くだけた話をするうちに色々と解説をしてくれる事となった。



来仙中のバカ兄弟をダシに「奥のバーチャレーシングをやりたいそうな んですよ」とお願いするとなんと快諾。そのブロックの電源を入れて遊ばせてくれた。50円1回でマシン状態Sクラス。起動時のハンドル自動調整の様子は非常に面 白い。このご時世にハンドルにガタのないバーチャレーシングが出来るとは思ってもみなかった。左シート側は多少パドルがぐらついていたがプレイには支障な し。この辺のメンテナンスもおじさんが行なっているのだろうか?。モニタは上のほうに若干横線が出ていたが、それ以外は帯磁などもみられず特に問題はな かった。
おじさんと話していると「日本で最初にポリゴン出したのナムコでしょ?。アレも仕入れたよ」との事。ドライバーズアイかウイニングランだったよなぁ、などと懐かしむ。アタリのドライブシミュレーションゲームハードドライビングも懐かしまれる時代だ。デモでハンドルが勝手に動いたり、「コインいっこいれる」とか。事故を起こすとリプレイもあったなあ。
ちなみに最初は別のブロックの電源を入れてしまって様々な起動音を堪能する事が出来た。

参考資料

SYSTEM21
1989 WINNING RUN
1990 GALAXIAN 3
1991 DRIVER'S EYE
1991 STARBLADE

SYSTEM22
1993 AIR COMBAT
1993 RIDGE RACER

SYSTEM11
1994 鉄拳

SYSTEM21:
60,000ポリゴン/s、テクスチャなし。たしか初めてWINNING RUNが世に出たとき、バックができるとか車庫入れができるとか、要普免とかいろいろLOGiNに書かれてた記憶がある。

SYSTEM22:
ACE COMBATの横っぱらに誇らしげに"SYSTEM 22"とか書かれてた気がする。まぁ我々にはもっぱら「リッジの基板」なんだけど。

SYSTEM11:
  Playstation互換基板。メモリが2倍ぐらいだったかも。




その隣にはレールチェイスが設置されており、起動時にコンプレッサーからと思われるすごい音がしていた。実際にプレイはしなかったが、ネット上での情報をみるにメンテナンスは大変らしい。機会があればその辺の話も聞いてみたい。



実は筆者は、小学生から中学の頃にかけてこのビルに良く遊びに来ていた。むかし「みてーみてーあーそぼ!」というおみくじマシンがあったという話をすると、「あー、あかしろ大明神ね」とあっさりと即答。良く覚えてらっしゃいますねぇと言うと「自分で買ったマシンは覚えてるよぉ」との弁。この瞬間に惚れてしまったのは言うまでも無い。師匠、いやオヤジと呼ばせてください。残念ながら実機は何年か前に廃棄してしまったそうだ。



次に話が向いたのは国盗り合戦。現在、特殊な機構で動いているスプリ ングを使ったベルトが切れてしまっている。代替にゴムなども使ってみたがうまく制御しきれないようで、同種のスプリングを現在も探している。某地元DIY ショップに頼んだ所すげなく断られてしまったという事だ。もしも良い代替部品をご存知の方はこちらのメールフォームからご連絡をいただけると嬉しいです。
景品交換用カード(約2cm x 3cm)もコナミ純正のものは持って帰られてしまうため、最近はアクリル板を加工して使用していたようだ。アクリル板の断面はきちんと面取りされていて、 小さな子供が手を切らないようにとの配慮が感じられた。



次におじさんから話を切り出してきたヒューマンのマッドタクシー。専 用の感熱ロール紙が少なくなり自作を試みたそうだ。マシンの起動時に紙を検出する制御のようで、純正紙でしか動かないらしい。ヒューマンの下請けで印刷 していた会社を突き止めるも、ロット数の関係で金額に折り合いが付かずに発注は断念したそうだ。ロール紙の位置あわせのために黒塗り領域をチェックしてい ると考え、マジックやスプレーで塗ってみたが動作しなかったそうだ。余白が必要という事なのだろうか?。子供ならシートに3人座れるが、ヘッドフォンが 2つしか無いので「もう1個つけようかねえ」とさらりとおっしゃった。




お子様コーナーに設置されたポルル君の旅行を調整中で見せてくれ た。音楽はなんと8トラックカセットで再生されていた。筐体内にハンドルが置かれていて予備かと思ったら標準品だそうで、「子供には大きすぎる」という事で別のハン ドルに換装されていたのであった。良く見るとハンドルにはSEGAと書いてある。逆さまに付いているのはご愛嬌だ。また、中にダンボールがあり、交換用の新品車両やパー ツが何点か入っていた。車両のタイヤが妙に斜めにカット(円錐を輪切りにした状態)されていたのが印象的。動作への影響を考えての事であろう。

キャスコから 佐川急便で送られてきたラベルを見ると、かすかに平成4年と見て取れた。点数表示用のLED(じゃないかも)を指し「セグメントがねぇ」とメンテナンスに難色を示していた。代 替品が見つかりにくいのかもしれない。表示形式についても、昔ながらのピンボールなどのようにパタパタと切り換わる方が好きなようである。少し謎だったの は、パネルのロゴはキャスコだったが筐体下部の名盤に発売元NAMCOとあった。ゲームのナムコなのか、リースを行っているNAMCOなのかは不明だ。



関西精機株式会社ことキャスコ(KASCO)のマシンはほとんど買ったよーとうれしそうに語られた。社長の古川氏(初代か2代目かは不明)とも交流があったそうで、お互いに通じる所はビデオゲームよりエレメカが好きだという点だ。同時に8人で遊べるもりのうんどうかいと いうエレメカも仕入れた事があり、パンフのメモの様子から当時950万円だったようだ。受注生産で「人形は泥粘土なんだよ」「背景は職人さんが手描きだか ら同じモノは無い」との事。

同時期にセガからAS−1も仕入れたようで、まさか宮城県内にそんな巨大なマシンがあったとは夢にも思わなかった。いずれのマ シンも全国に5台ほどしか無く、当時石巻市に建設された遊園地に納入したのだが、3年ほどで閉園してしまったという事だ。同じパンフレットに掲載されていた R-360も扱ったそうだ。


最近、近くにオープンした遊戯施設に機械を貸したり設置を手伝ったりしたのだが、1月程度で閉鎖してしまったと残念がっていた。やはりアーケード施設は難 しい時期なのだろうか。改修が終わったら1階に移って営業を再開したいという事だった。「本当はもうやめたいんだよねぇ」というので涙目になりつつ「是非 長く続けてください」と訴えるしか出来なかった。


最後に色々な資料を見せて貰って驚いた。懐かしい機械の取扱説明書やAMショーなどで入手したパンフレット、メーカーの営業からもらったと思われる名刺 付きのゲームのカタログなども。柱掛け両替機のマニュアルは、製造元から納入されたであろう青書きのもので中の図も手書きだった。各種マ ニュアルには、保守部品のパーツの代金まで記載されている。こういう貴重な資料が散逸するのは避けたい所。実機は置き場所が困るけどこういうのはそんなに場所もとらないしね、との事でした。
時間が無かったので無理を承知でお願いしてみた ら、ファイル3冊をさらりと貸しくださいました。じっくりと中を見てみたら搭乗型エレメカのアナウンス用ペーパーなども。国盗り合戦はなんと当選確率を機械的に設定出来る機構となっていた。これは素晴らしい。


お話をうかがったのは、ファミリーランドカルディにおられる有限会社グローバル電子工業の高橋太一郎さんでした。
「完全に道楽だよ」と言われてましたが、心から機械式のゲームが好きで小さな子供が遊ぶことを最優先に考えてらっしゃるようでした。きっと我々3人がバー チャレーシングを楽しそうに遊んでいるのも、小さな子供が遊んでいるのも高橋さんの目には同じように映ったのではないでしょうか(笑)。お預かりした資料 を返す時にまたじっくりと話を聞いてみたいです。


お忙しいなか色々とお話をいただきまして、本当にありがとうございました!!





カルディー設置機器リストその1 その2(現在移設中で遊べないものもあります)
カルディーまとめ(かんちゃそ谷)

Text by Kanchaso,Mario and Luidi(BAKA Kyoudai)
2006年5月10日初版
5月22日一部修正
6月20日リンク追加
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(P)2006 KANCHASO-DANI